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大学入学シリーズ1/4 なぜ大学に入学したの?

この記事は大学に入学するにあたり執筆した4本の記事のうちの1本です。 他の記事などについて知りたい時は、イントロ記事を参照してみてください。

なお、このページがダントツに長いです。

なぜ大学に入学することにしたの?

端的に言えば、「自分の能力の成長に限界を感じたから」です。 それだけだと何言ってるのか意味不明ですが、この感情は、簡単に分けると4つの大きなお気持ちと、いくつかの雑多なお気持ちで構成されています。 これから、それらのお気持ちを順を追って説明します。

1. 何十年か先には、小手先の技術はいらなくなると思うから

ここ数年で急速に「AI」というワードが世間で使われるようになりましたが、それとは特に関係なく、以前から時代と共に「プログラムが書ける」という能力自体の価値は0に収束するだろうなと考えていました。

プログラム自動生成機能の発展、プログラムが書ける人間の数の増加、IT特需の収束など、理由はいくつか挙げられますが、技術の進歩などによって、プログラムが書けるという能力の価値は、ある時代を境に減少すると思います。 では何が重要になるのかと言うと、やはり数学、物理、計算機科学などの専門的、基礎的な部分の能力か、プログラムとデザインやマネジメントなどの、プログラム以外の価値を生み出す能力が付随することだと思います。

そもそもとして、IT分野におけるプログラミングという領域は、基礎より応用のほうが簡単という珍しい状態にあります(計算機科学が基礎に当たり、それの応用としてのプログラミングが存在するという認識でいます)。 しかし、その応用領域は簡単であるがゆえ、徐々にそれ単一での価値を失い、その結果として基礎的な部分の知識を理解しているかどうかが決定的な差を生み出すことになると思います。

誰でも読んで理解できる内容のブログ記事などで、コードの書き方を覚え、とりあえず何かを開発する人。数学や物理や計算機科学など、専門的、基礎的知識がないと読めない文章が読めて、それをコンピュータ上に落とし込むことができる人。これから何十年後かには、この二者における待遇格差などは広がることになると思います(個人的には広がって欲しいと思います。より専門的に高等な人ほど、厚遇されるべきです)。そんな中で、専門家として生きていくためにも、それら専門的、基礎的知識の方を、さらに修めていきたいと考えています。

ちなみに、私はブログなどから学んでプログラムを書くこと自体を否定している訳ではありません。 むしろそれは工業的には正しいことだと思いますし、その人たちも社会においては重要だと思います。 単に個人的思いとして、自分はなにかを作る人でありたいと言うよりも、なにか専門的バックグランドがあって、それを活用して新しい何かを提供する側になりたいというだけの話です。 そして、そちら側の方が今後は更に厚遇されそうな気がするな、という考えです。

2. 学ぶべきことが離散的になっている

私は計算機科学について、ほとんどの部分をちゃんと学校で学んではいません。高専では電気・電子系の講義が大半を占めていました。 いま持っているほとんどの知識や技術は、興味を持って読んだ専門書からだったり、Webで調べたり、実際に作ってみて感覚的に理解していったりした物です。

それ自体は別に悪いものではないのですが、このやり方はどうしても知識や技術に偏りや誤りが生じます。また、特定の考え方に強くとらわれてしまう傾向にあるとも考えています。 誰にでも分かるように、咀嚼されて吟味されて柔らかくなった専門書ではなく、その分野を専門として修める人が読むような専門書を読んでいると、そのことを強く実感できます。 この知識は知っているのに、この知識は知らない。 このアルゴリズムが良い物だということは分かるが、他と比べてどこが優れているのか、どこが劣っているのか、理論的に網羅して他人に説明することはできません。 なんとなくの雰囲気で説明することはできるのですが、これでは個人的にとても不満が残ります。

これは計算機科学だけではなく、数学や物理を筆頭に、他の分野にも言うことができます。 数学はその点、特に計算機科学と同様だと感じていて、「よく分かんないけどこうすれば計算できるらしい」ということで計算することは比較的容易ですが、「必要条件と十分条件の元で、この定義に基づくと、この様に導出できる」という様に計算の流れを理論的に理解するのは、十分に積み重なった重厚な数学力が求められます。 これは、いまの自分にとても不足しているものです。

また、私は「自分の専門分野以外は学ぶ必要がない」には断固として反対なので、俗に言う理系分野だけではなく、認知科学や経済学や歴史学社会学なども好んで学んでいます。

これらを独学することはもちろん可能ですが、幅広い学問分野を独学するのはどうしても非効率的であり、特定の考え方や誤りにとらわれるようになりやすいと私は感じています。 一番良いのは、それらを高度に修めた人の元で、体系的に教えを受け、分からないところは指導してもらい、間違えているところは指摘してもらい、「自分の理解や認識は、定量的に評価された事実として間違っていない」ことを保証してもらいながら学んでいくことです。 大学という教育機関は、これらをおこなう上で、非常に有用だと思っています。 逆に言えば、私が大学に求める物の一つでもあります。

まだ入学して3ヶ月程度しかたっていませんが、私が入学した学科(以下、FMSとします)の先生たちは、優しいながらも厳しい目を持ち合わせ、きちんと指導していこうという気持ちを既に感じ取っています。 これを最大限活用できるかどうかは私次第ですが、これから4年間でできるだけの物を見に付けていきたいです。

3. Google検索で出てくること以上のことができない

これは「2. 学ぶべきことが離散的になっている」と強く関わるところではありますが、現状の能力ではGoogle検索で出てくること以上のことをするのが非常にしんどいです。 Google検索とは非常に強力で、集合知がいかに便利なものかを教えてくれます。

しかし、それは同時に危険でもあります。 もし検索した結果、間違ったことが書かれていた時に、それを間違っていると気付くことができるだろうか?間違えをそのまま受け入れてしまわないだろうか?もし間違いに気付いたとしても、どこが間違っているのかを専門的知識に基づき説明できるだろうか? という問題もはらんでいます。

また、いくら集合知とは言っても、自分に理解できない物はどれだけ読んでも理解できません。 知識を理解するために必要な知識がなければ、あとは体感的に「こうすればこう動くっぽい」を繰り返していくことで、身体で覚えるという形を取ることになってしまいます。 もしくは、その知識の前提知識を集合知として明瞭に共有してくれる人の登場を待つことになってしまいます。

さらに、未だ集合知になりえない最新技術などを、集合力から知ることはできません。 10年前に既に存在した技術などが、10年の時を経て集合知となり、インターネットで話題となることで一気に多くの人が学び始める(もちろんそれだけを起因としているとは考えていません)というのは、IT業界においてはどの分野でも観測できることだと思います。

これに関しては、「1. 何十年か先には、小手先の技術はいらなくなると思うから」でも述べましたが、工業的にはとても正しい姿だと思います。 IT分野のように社会で広く一般に使われる技術などは、工業的生産性が向上していくべきであり、そのためにはまず第一に「誰でも簡単に少し学べば使えるようになる」必要があります。 この点、現状のプログラミングなどのIT分野のドメイン設計は、素晴らしいの一言に尽きると思います。 小学生でも、大人でも、インターネットを使って勉強をすれば、プログラムを書くことができるようになっています。

しかし、これは自分にとっては、嬉しい状態ではありません。 自分はあくまでプログラマとしてではなく、計算機科学の専門家として自分の専門分野を修めたいし、Google検索がないと生きていけない人間ではなく、Google検索によって自分の能力や生産性を加速させられるような使い方が出来るようになりたいです。 Google検索で出てくるようなこと、誰かが検証してくれたことや、ツールなどの細かい仕様など、そういった物はどんどん活用していきます。 しかし、検索しても出てこないような、そもそも明確な答えが未だ世界に存在しないような問題に対しても、適切な知識と豊富な技術、最新の論文などを理解する力とそれを実装する能力を持った上で、これからの自分のキャリアを形成していきたいと思っています。

最近親しい友人が「Computer Scienceをちゃんと分かっているエンジニアと一緒に仕事がしたい」と呟いていました。 これには私も賛成です。 現状のIT企業においては、計算機科学を分かっているエンジニアと分かっていないエンジニアがごっちゃになり、同一の評価を得ている傾向にあると思っています。 アウトプット至上主義においては成果こそ正義であるためこれでも正しいのですが、そのような主義がどの場面においても通用する訳がなく、やはり一部企業においては「計算機科学ないしそれに類する学士以上の学位、もしくは同等の能力を示せること(意訳)」となっているところもあります。 これは一種の「プログラマとエンジニアの違い論争」と類似した物だと感じているのですが、私自身は、やはり専門技術者を名乗るならば、それ相応の能力は求められてしかるべきだと思います。

では、ここで自分自身がどうなのかと言われると、いまは胸を張ってその友人に一緒に頑張ろうとは言えません。 先述の様に私は自分が納得のいくレベルまで計算機科学を修めてはおらず、とてもではないですがその点については自信が持てません。 なので、胸を張って自分の専門分野となる主軸を語れるようになるほどに、能力を厚く固くしていきたいです。

そのためには、やはり計算機科学や数学を体系的に学び修め、その上で改めてエンジニアリングに向き合っていく必要があると考えます。

4. 研究をしてみたい

4つ目はわりとシンプルな感情で、単に研究をしてみたいという気持ちです。

今まで私は研究活動をおこなったことがないのですが、仕事などではちょくちょく論文を読む機会があります。 それらを読んでいる中で、やはり前提として必要な知識や数学力などが不足しているなという気持ちから「2. 学ぶべきことが離散的になっている」に戻るのですが、もう一つ純粋な憧れなようなものも感じています。 これらの論文はどうやって考えられてきたのだろうか、どうやってここまで積み重なってきたのだろうか、これから先は何を積み重ねることができるのだろうか、などといったものです。

そして、できるのであれば、自分もそこに関わってみたいし、自分の考える未来を叶えるために少しでも何か積み重ねができるのであれば、やってみたいと思っています。 また、自分の専門としたい分野、私の場合はComputer Graphicsがそれになるのですが、その分野を研究活動を通して、真に自分の専門として修めたいというのもあります。

この点はFMSはわりと積極的で、学年を問わず研究活動を行うことを奨励しているのではないかと思うほどに、はやい段階から研究をしている先輩方も大勢いらっしゃいます。 自分もすぐにでも、何かしらの活動は始めたいなと思っています。

5. 雑多なもの

その他にも、雑多なものが積み重なってそれなりの割合を占めている部分もあります。 簡単に列挙していくと

  • 学位がないと不便
    前述のように一部の企業においては、マストではないにしろ学位を求めてくるところがあります。 また海外で働こうとすると、どうしても学位がないと厳しいです。

  • 一部の人から信用されない&意見を受け入れてもらえない
    これは悲しい現実ですが、やはり働き始めてから「お前は若いから」「大学出てないでしょ」などと言われて、意見を受けて入れてもらえないことがありました。 そもそもとして、年下の意見には一切聞き入れないという人などもいて、別に無理に向き合う必要はないのですが、とはいえ大学を出ているという事実は一部の人に取っては信頼に値する物の様なので、持っていて損はないでしょう。

  • 次のキャリアに悩んだから
    チームラボの正社員として5年以上働いて、次のキャリアを考えたときに、なかなか発展性が乏しいなと感じました。 自分の現在の仕事は偶然たどり着いた部分が大きく、実は数年前からずっと自分の今後のキャリアについて悩んでいました。 最近は会社も有名になって大きくなり、人も増えてきましたが、それに伴い、やはり自分の仕事への哲学と、他の人の仕事への哲学との不一致が徐々に大きな物になってきたのを感じるようになりました。 なるほど、これが音楽性の違いかと思いました。 そこで次のステップに進むにあたって、一度立ち止まって、ちゃんと勉強しなおそうと考えるようになりました。

  • おもしろそうだったから
    社会人から自分の専門を変えずに大学に入り直す人ってあまり聞いたことがなく、おもしろそうだなって思ったからです。人生コンテンツ力。


ここまでが、なぜ大学に入学することにしたかの大まかな理由です。 最後に、これは理由というよりは、いつも心に留めている物で、常にモチベーションのベースにしているものです。

私はエンジニアとして、現役を退き、死ぬまで常に何かを学び続ける必要があります。 専門家として、常に新しい研究や技術を追い続けなければなりません。 さらに、別の専門家たちと意見を交わしながら、彼らに我々の分野のことを説明する時は、一切の言い訳も誤魔化しもできません。 また私は一人の大人として、次の世代に技術や知識を教え伝えていかなければなりません。

そのために必要となるのは、絶対的に安定した土台、基礎となる部分です。計算機科学、数学、物理、それらのどれをとっても、その研究結果などは一見華やかで面白い分野で、その上澄みだけを見ればとても楽しいものですが、現実にはそれらの分野の下には確固たる土台となる部分が存在します。そして、それらを使って何かを表現したいだけとか開発したいだけとかであれば、必ずしも必要ではないものですが、もし、真にそれの専門家であると名乗り、それを後世に伝え、社会に還元していくためには、その土台を私も持つ必要があることを肝に銘じなければなりません。

学生時代に先生から言われた「基礎10、応用1くらいの割合でやってみなさい。基礎がしっかりしていれば、大抵のことには対応できる。逆に基礎がしっかりしていなければ、簡単に揺らぎ倒れることになる」というのは、当時からずっとその通りだなって思い、心に留めています。 大学に入学したのも、結局は自分のスカスカな今の土台を、いま一度綺麗に立て直すためだとも言えます。 これからの人生、常になにかを学び続ける必要がありますが、学び続けるために必要なのは、小手先の技術ではなく、重厚な基礎力です。